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【アジアの病人と呼ばれた国②】『フィリピンの真の独立』

2018-07-10 12:47:44 カテゴリー: 金融関連



こんばんは。
S DIVISION HOLDINGS INC.の町田健登です。

前回はマルコス独裁政権下で長く続いた、
『アジアの病人』であったフィリピンの
戦後をご紹介させて頂きましたが、
今回はいかに病人と呼ばれたフィリピンが
現在の高度経済成長期までV字逆転を
決めたかをご紹介させて頂きます。


1965年から20年続いたマルコス政権下では
不安定な政治基盤から、独裁政治が横行します。

独裁制は強い権力を駆使して問答無用で重要な
政策を推し進められるため、
ある一面では国家の発展に有効な政体である
という側面があるのは事実です。


そんな中、マルコス大統領はアメリカと
強い同盟関係を結びます。

フィリピンは資本主義国として、アメリカや
日本との自由貿易を推進していきました。

しかし、経済状況はまだまだ回復しません。
また、20年におよぶ独裁政権下では、
汚職や暗殺などが横行していました。

そんな中、1970年には独裁政権に
反対する人々が暴徒化し、
自爆テロ等が国内で頻発し始めます。


これを恐れたマルコス大統領は
1972年フィリピン全土に戒厳令を発令しました。


そして、マルコス大統領の独裁政権を
終焉させるある事件が発生します。


それは世界に衝撃の走った事件、
ベニグノ・アキノ・ジュニア氏の暗殺です。


彼は反マルコスでありながら、非暴力主義を
掲げ、国民に非常に人気のある政治家でした。

彼の通称は「ニノイ」と呼ばれていたため、
『ニノイ・アキノ』という名で国民に慕われて
いました。

フィリピンをご存知の方には非常に有名な方
ですよね。

そんな彼を恐れたのが、
独裁者マルコス大統領です。

彼はアキノ氏を「アメリカで手術を受けさせる」
という名目で国外追放します。

しかし、アキノ氏は「フィリピン国民のために」と
帰国を決意します。

1983年、大勢の報道陣が待ち構えるマニラ国際空港に
アキノ氏を乗せた航空機が到着します。

「必ず何かが起こるから、カメラを回しておいてくれ」

空港に降り立ったアキノ氏がそう言った数秒後、
アキノ氏はフィリピン軍兵士によって射殺されます。


この事件をきっかけに、海外、国内ではマルコス政権
に対する反発が激化、マルコス大統領はハワイへの
逃亡を余儀なくされます。

20年間にわたり独裁政権の続いたマルコス政権が
終焉を迎えます。

そして、次の大統領には、アキノ氏の妻
コリー・アキノが大統領に就任しました。


彼女は亡きアキノ氏の意志を継ぎ、
人権を尊重した新憲法制定等、フィリピンにとって
人道的な政策を推し進めていきました。

また、アキノ大統領政権では、
長く駐留を続けていたアメリカ軍の
全面撤退にも成功しました。


ようやくフィリピンが政治的、経済的に
「独立」を果たした。

そんな日がやってきました。



弊社のオフィスがあります、
エンタープライスビルの目の前には
ニノイ・アキノ像が建てられています。


これはフィリピンの『真の独立』の
貢献者である彼を弔って建てられた銅像です。

今回はフィリピンの今を語るには
絶対に欠かせない人物。
「ニノイ・アキノ」氏についてお話させて
頂きました。


さて、真の独立を果たしたフィリピン。
しかし、まだまだ経済低迷からのV字回復
とまではいきません。

この後、アジアはあのお金の大事件を迎えます。
しかし、フィリピンはその影響からいち早く
回復した国でもあります。

次回のメルマガでは、その歴史について
触れてみたいと思います。

本日も最後までお読み下さり、
ありがとうございました。